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自己探求:臨済禅の教え

更新日:2023年11月19日


宗教は多くの場合、超越的な存在や神聖なるものに対する信仰を中心に据えています。しかし、臨済禅はこの考えを逆転させ、超越的な存在を否定し、内省と自己探求を促します。これは、答えを外部ではなく、自身の内面で見つけるという姿勢です。

円覚寺 暗い通り

多くの人々は、悩みを抱えた際、外部の助け、例えば心理学の専門書やカウンセラーのアドバイスに頼りがちです。しかし、臨済禅は、私たちに内面への視点を向けるよう促します。入試の例を考えてみましょう。試験中、答えは教科書やインターネットには存在しません。それは、自らの理解と洞察から導き出す必要があります。人生で悩んだ時の答えはあなたの人生、あなたの心の中から導き出す必要があります。


『臨済録』には、「三教十二分教も、皆な是れ不浄を拭う故紙なり。仏は是れ幻化の身、祖は是れ老比丘」という言葉があります。これは、教えや指導者に依存することの虚しさを示しています。


「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す」という禅語は、依存からの自由を表します。


真の解決は、私たち自身の内面に潜んでいます。本やネットの情報など他の外部には参考になることもありますが、最終的な答えは自分自身の心の中にあります。深く悩むとき、自分の外に答えを求めがちですが、自己探求こそ欠かせない作業でしょう。





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