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AIには話せても、人には話せない

――「相談することの怖さ」について考えたこと



今日、毎日新聞の記事を読みました。

高校2年生の女子生徒が、友人関係などの悩みをChatGPTに繰り返し相談し、その後、自ら命を絶ったという記事でした。

約1か月半の間に、AIから相談窓口を案内されたことも何度もあったそうです。それでも、人には「消えたい」という気持ちを打ち明けないままだったと書かれていました。

この記事を読んで、かなりショックを受けました。

AIには、本当にたくさん話していた。

自分の嫌なところも、苦しいところも、疲れたことも、うまくいかないことも、それなりに言葉にできていた。

何も表現できなかったわけではありません。

むしろ、かなりのところまで、自分が何に苦しんでいるのかを言葉にできていたように見えます。

だからこそ、私は残念に思いました。

これだけAIに向かって発信できていたものが、もし少しでも、AIの外にいる誰かにも届いていたらどうだったのだろう、と。

もちろん、それで結果が変わったとは言えません。

そんなことは誰にも分かりません。

ただ、AIにしか表現できなかった部分、あるいはAIにもまだ表現できなかった部分も含めて、その人の一部分だけではなく、もう少し広く、その人自身を受け取ってくれる場所が現実の世界にもあったなら。

そこが、「ここなら自分もいてよい」と思える場所になった可能性はなかっただろうか。

そんなことを考えました。


人に相談することは、たぶん、思っている以上に怖い


私たちはよく、「つらかったら相談してください」と言います。

もちろん、それは大切なことです。

相談窓口を知らせることも必要です。

ただ、長くカウンセリングの仕事をしていると、それだけでは届かない人がいることを何度も感じます。

人に相談するというのは、実はかなり怖いことです。

困っていることを説明するだけではありません。

自分でも見たくない自分や、普段は隠している自分を、誰かの前に出すことでもあります。


弱い自分。

格好の悪い自分。

嫉妬する自分。

情けない自分。

自分でも、どうしてこんなことを考えてしまうのだろうと思うような自分。


普段はそういうところを隠して生活していることがあります。

それなりに学校に行き、仕事をし、友人と話し、家族とも過ごしている。

でも、「本当はここを隠している」という感覚は、自分の中には残っています。

私は、その隠すこと、言わないことが、人をかなり孤独にすることがあると思っています。

いいところだけで世界とつながっている。

ちゃんとしている自分だけで人と関わっている。

けれど、自分の中では、

「みんなが知っている私は、本当の私の一部だけだ」

という感じが残る。

すると、人に囲まれていても、どこか世界から離れているような感じになることがあります。



「ここでしか言えない」ところから始まること


カウンセリングでは、

「こんなことは、ここでしか言えません」

と話されることがあります。

私は、それでいいと思っています。

最初はここでしか言えなくてもいい。

むしろ、誰にも言えなかったことを一人の人との間で言葉にできたこと自体が、その人にとってはかなり大きな出来事であることがあります。

そして長く仕事をしていると、その後、その人が少しずつ周囲にも違う態度を取れるようになることがあります。

何でも話すようになる、という意味ではありません。

全部をさらけ出せばよいわけでもありません。

でも、以前より少し、自分を隠さなくてもよくなる。

少し断れるようになったり、少し弱音が言えるようになったり、本当は嫌だったことを伝えられるようになったりする。

カウンセリングの中だけにあった表現が、少しずつその人の生活の中にも出ていく。

そういうことを私は何度も見てきました。

そのとき、その人はカウンセラーとだけつながっているのではなく、少しずつ世界とのつながり方そのものを変えていくのだと思います。



AIだから話せることもある


今回の記事を読んで、AIへの相談を否定したいとは思いませんでした。

むしろ逆です。

AIだから話せることは、かなりあると思います。

相手の顔色を見なくてもいい。

呆れられる心配が少ない。

同じ話を何度してもいい。

人に知られない。

自分のペースで文章にしながら考えられる。

これは大きなことです。

実際、私は普段AIを使っていて、自分の考えを整理する場所として役立つことを感じています。

人に話す前の準備になることもあるでしょう。

自分でも分からなかった気持ちに、少しずつ言葉が与えられることもあると思います。

だから、AIに相談すること自体を問題にしたいわけではありません。

ただ、人間との関係には、AIとの関係とは違う難しさがあります。

人に話すのは怖い。

相手がどう受け取るか分からない。

つながるのにも苦労するし、離れるのにも苦労します。

でも、その苦労があるからこそ、そこで生まれた関係は、現実の世界につながっていくのだとも思います。

少し変な言い方になりますが、切っても切らなくても同じ関係より、つながるのにも苦労し、切れることにも痛みがある関係のほうが、世界とのつながりは太いのではないか。

私はそんなふうに感じています。

AIとの対話が、そういう世界へ出ていくための準備になるのであれば、とても意味があると思います。

一方で、本当は人と深くつながりたいのに、それが怖くてできず、AIとの関係だけが増えていくとしたら。

そこには少し注意が必要なのかもしれません。



私たちは「相談してください」と言うだけでよいのか


この記事を読んで、私自身の仕事についても考えました。

「困ったら相談してください」

「一人で抱え込まないでください」

そう言うだけでよいのだろうか。

相談できない人がいるということを、その人の側の問題だけにしてはいけないと思いました。

相談される側にも、考え続ける責任があります。

人に話すことは怖い。

うまく言葉にならないこともある。

そもそも、自分が何に困っているのか分からないこともある。

近づきたいけれど、近づけないこともあります。

そこを「まだ相談する準備ができていない」とだけ見るのではなく、それ自体を一つの表現として受け取りたいと思っています。

話さないことも表現です。

待たせることも表現です。

世界とうまくつながれないことも、その人の今の表現だと思います。

私はカウンセリングで、そういうものも含めて受け取りたいと思ってきました。

そして、その表現がいつかもう少し豊かになっていく可能性を、急がずに待ちたいと思っています。

これは、何もしないという意味の「待つ」ではありません。

今ここに出ているものを、まだ足りないものとしてではなく、その人が今できている精一杯の表現として受け取る。

そういう待ち方です。



もし、人に相談することが怖いなら


この記事を、人に相談できずにいる方が読むこともあるかもしれません。

何を話せばよいのか分からなくても構いません。

相談するほどのことなのか分からなくても構いません。

人に話すことが怖いままでも構いません。

きれいに整理してから来る必要はありません。

むしろ、整理できていないところ、うまく言葉にできないところも含めて、一緒に考えられたらと思っています。

かまくら相談室では、そういうところから始めたいと思っています。

少しでも人に話してみようと思えるときが来たら、そのときに話しかけてください。

すぐに全部を話せなくても大丈夫です。

私は、人が自分でも見たくなかった自分や、これまで隠してきた自分も少しずつ自分の人生の中に置き直していくこと、その人が世界の中にもう少し広く、豊かに、自分を位置づけていくことを、カウンセリングの大切な仕事の一つだと思っています。

今回の記事を読んで、改めてそのことを考えました。

そして、相談できない人がいるという事実を、相談する側だけの問題として終わらせずにいたいと思いました。

相談される側として、どうしたらもう少し近づきやすい場所になれるのか。

どうしたら、まだ言葉になっていない苦しみを受け取れるのか。

これは、これからも考え続けなければならない仕事だと思っています。



 
 
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