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経験が「私のもの」になっていくまで

――解離症状から、理由の分からない空虚感まで



カウンセリングをしていると、ときどき「特に困っていることはないのですが」と話し始める方がいます。

仕事には行けている。家族や友人とも普通に話している。眠れないわけでもなく、食事も取れている。外から見ると、生活には大きな問題がありません。

それでも、何かが足りない。

楽しいことがあっても、自分が本当に楽しんでいるのか分からない。人と笑っていても、自分だけが少し離れたところにいるような気がする。何がしたいかと聞かれても、頭ではいくつか答えられるのに、これが自分の望みだという感じがしない。

「空っぽというのとも少し違うんです」

そのように言われることもあります。

私は、こうした訴えを聞いて、すぐに解離だと考えるわけではありません。空虚感にはさまざまな背景があります。疲労や抑うつ、孤独、親子・人間関係の中で自分を抑え続けてきたことが関係している場合もあります。

一方、幼少期の深刻な体験と関係して、はっきりとした解離症状に苦しんでいる方もいます。

過去の一部が思い出せない。自分の身体が自分のものではないように感じる。周囲が急に遠くなり、現実ではないように見える。気づくと時間が過ぎている。ある話題に触れた途端、感情も考えもなくなってしまう。

こうした解離症状と、「何となく自分が生きている感じがしない」という空虚感を、同じものとして扱うことはできません。症状の深刻さも、成り立ちも異なります。

ただ、カウンセリングの中で行っていることには、どこか共通する部分があります。

それは、まだ十分に感じられていないこと、言葉になっていないことが、少しずつその人自身の経験になっていくのを支えることです。


感じないことで、何とか生きてきた



幼い子どもにとって、つらい出来事から逃げることは簡単ではありません。

家を出て一人で暮らすこともできません。何が起きているのかを理解して、信頼できる人に説明することも難しい。助けを求めても、助けてもらえないこともあります。

そのような状況で、起きていることをすべて感じ続けるのは、あまりに苦しいことです。

感じないようにする。自分に起きていることではないように思う。その時間だけ、心や身体から離れる。

本人が意識して選んだわけではなくても、そうすることで何とか毎日を過ごしてきた人がいます。

解離は、現在では生活を苦しめる症状になっています。しかし、それをただ悪いもの、なくすべきものとして見るだけでは、その人が生きてきた経過を見失ってしまいます。

かつて、その働きがなければ耐えられなかったのかもしれない。

私は、まずそこを大切にしたいと思っています。

だからといって、解離がいつまでも必要だということではありません。現在は安全な場所にいるのに、身体や心が過去と同じように反応してしまう。人と親しくなりたいのに、近づくと自分がいなくなってしまう。そうした苦しさは、少しずつ変えていく必要があります。

しかし、長い間自分を守ってきたものを、急に外そうとすれば、心が怖がるのは当然です。

解離がなくなってほしいと思う一方で、感じられるようになるのが怖い。その両方の気持ちがあっても、少しも不思議ではありません。


面接の中で、少しずつ分かってくること



カウンセリングで「今、何を感じていますか」と尋ねても、「分かりません」と返ってくることがあります。

質問された途端、頭が真っ白になる人もいます。何か答えなければと思い、カウンセラーが納得しそうな言葉を探してしまう人もいます。

その「分かりません」を、私はなるべく急いで埋めないようにしています。

もう一度質問を重ねれば、言葉は返ってくるかもしれません。しかし、それが本人の内側から出てきた言葉ではなく、求められて作った答えになることもあるからです。

少し待っていると、

「何も感じないのですが、胸のあたりだけ変です」

「怖いというより、遠くなる感じです」

「話したいとは思うんです。でも、この先は入ってこないでほしい感じもあります」

と、少しずつ言葉が現れることがあります。

もちろん、その日に何も出てこないこともあります。それも含めて面接です。

カウンセラーが言葉を返したとき、「そうです」と感じる場合もあれば、「少し違います」と感じる場合もあります。「違う」と言えることは、とても大切です。

人に合わせることで生きてきた人にとって、カウンセラーの理解を訂正すること自体が、新しい経験になることがあります。

「それは悲しみではないと思います」

「今日は、この話を続けたくありません」

「今の言い方は、少し怖く感じました」

このように伝えることも、自分の経験を自分のものにしていく作業の一部です。

カウンセリングは、心の奥にある正解をカウンセラーが見つける作業ではありません。二人で言葉を置いてみて、少し違えば置き直す。その繰り返しの中で、本人にも分からなかった感覚が、徐々に輪郭を持ってくることがあります。

言葉だけで進むとも限りません。

夢に同じ場所が何度も出てくることがあります。箱庭を作ったあと、説明はできないけれど、なぜか大切なものを作ったと感じることもあります。ある話をしているときだけ、身体が固くなることに気づく場合もあります。

それをすぐに解釈してしまうのではなく、しばらくそのまま眺めます。

まだ意味が分からなくても、自分の中で何かが起きていることを、誰かと一緒に見ていく。その時間が必要なことがあります。

「私のものになる」とは、のみ込まれることではない


経験が自分のものになるというと、過去をすべて思い出し、つらかった感情を十分に味わうことだと思われるかもしれません。

私は、必ずしもそうではないと考えています。

思い出せないことを、無理に思い出す必要はありません。強い感情が出てくれば治療が進んでいる、というわけでもありません。

「本当は嫌だったのかもしれない」

「私は怖かったのだと思う」

「今日は、これ以上は考えたくない」

そうした小さな実感を、自分の感覚として受け取れるようになることも、大きな変化です。

経験が自分のものになるというのは、経験にのみ込まれることではありません。

近づくか、少し離れておくか。今話すか、今日は話さないか。その距離を、以前よりも自分で選べるようになることです。

解離を力ずくで解くのではなく、解離以外にも自分を守る方法を少しずつ増やしていく。苦しくなったときに今いる部屋へ戻ること、身体の感覚を確かめること、相手に助けを求めること、話を止めること。

そうしたことができるようになってくると、心は以前ほど強く自分を切り離さなくてもよくなる場合があります。

進んでいないように見える時期


解離症状と向き合うカウンセリングでは、努力の成果が見えにくいことがあります。

症状がすぐになくなるわけではありません。昨日は気持ちを話せたのに、今日は何も分からないということもあります。少し感情に触れられるようになったために、一時的に苦しさが増したように感じる人もいます。

そのようなとき、「また元に戻ってしまった」と思うかもしれません。

けれども、以前なら気づかないまま長い時間が過ぎていたところを、途中で「今、遠くなっている」と気づけた。面接中には分からなかった気持ちに、帰ってから気づいた。苦しくなったことを、次の面接で伝えられた。

そうした変化もあります。

話さないことを自分で選べた、という変化もあります。

以前は何も感じられない自分を責めていたけれど、「今日の自分には、まだ難しいのだろう」と思えた。それだけでも、心との関わり方は以前と同じではありません。

ただ、何でも「回復の途中だから」と我慢する必要はありません。

カウンセリングのあとに解離が著しく強くなる、眠れない日が続く、日常生活が保てない、自分の安全を守れないと感じる。そのようなときは、カウンセラーや医療機関に伝えてください。

苦しさに耐え続けることが、よいカウンセリングではありません。治療の進め方や速さを見直す必要があることもあります。

「何かが足りない」というところから


カウンセリングを受けるために、深刻なトラウマがあったと証明する必要はありません。

自分の状態が解離なのか分からなくてもかまいません。

「生活はできているけれど、何かが足りない」

「自分の人生なのに、どこか他人の人生のように感じる」

今はその程度の言葉しかなくても、そこから始めることができます。

まだ言葉になっていないものを、無理に言葉にする必要はありません。まだ自分のものとして感じられない経験を、急いで自分のものにしなければならないわけでもありません。

一人では気づけなかったことが、人との関係の中で初めて分かることがあります。言葉にしてみて、少し違うと気づき、また言い直す。その過程で、それまでばらばらだった感情や身体感覚、記憶、考えが、少しずつつながってくることがあります。

私は、その時間を、人が自分の人生に戻ってくるための大切な時間だと考えています。

かまくら相談室では、解離症状に苦しんでいる方にも、理由の分からない空虚感を抱えている方にも、その方の現在の生活と安全を大切にしながら関わっていきます。

「何かが足りない」という、まだ曖昧な感じのまま来ていただいてもかまいません。

その言葉の足りなさを、急いで埋めるのではなく、そこにどのような経験があるのかを、一緒に考えるところから始めたいと思っています。

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