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一人でいるときよりも、正直になる
自分に正直になることは、簡単なことではありません。 「自分はどう感じているのだろう」と考えようとしただけで、少し怖くなることがあります。 もし自分の気持ちに気づいてしまったら、今まで通りではいられなくなるのではないか。 誰かを傷つけてしまうのではないか。 自分が何とか保ってきたものが、崩れてしまうのではないか。 そのように感じる方もいるかもしれません。 その怖さは、決しておかしなものではありません。 心が、それだけ大切なものに触れようとしているからこそ、慎重になっているのだと思います。 一人で考える時間も大切です 一人で過ごす時間は、とても大切です。 静かに考えること。 日記を書くこと。 自分の気持ちを整理しようとすること。 そうした時間には、大切な意味があります。 ただ、一人でいるときほど、自分に正直でいられるとは限りません。 一人で考えているつもりでも、実際には、自分の気持ちを聞くよりも、自分を責める声ばかり聞いていることがあります。 「私が悪かったのかもしれない」 「もっと頑張らなきゃ」 「こんなことで傷つくなんて、弱いのかもしれない」 「
6月11日


抑うつを「意味」の側からみる
かまくら相談室では、抑うつを単なる不調や失敗としてだけでは捉えません。これまで外へ向かっていた心のエネルギーが、いったん内側へと退き、自分でもまだ言葉にできていない課題に向き合わざるをえなくなっている状態として見ます。 抑うつは、ただ「元気がなくなった状態」ではなく、これまでの生き方では支えきれなくなっていたものが、切実に姿を現している時期とも考えられます。無理に前向きになろうとしても動けない。頭では分かっていても、心がついてこない。そのようなとき、心の深いところでは、これまで後回しにされてきた感情や葛藤が、ようやくこちらを向き始めている、そういう心の動きかもしれません。 抑うつをすぐに片づけたり、効率よく乗り越える対象として扱ったりしないことが大事です。すぐに答えを出さないことはもどかしいことですが、いま起きている苦しみを、人生の流れの中で丁寧に見つめ、その人の心が何を抱え、何に耐えてきたのかを、急がずにたどっていく作業をカウンセリングの中で行います。 夢や象徴、イメージが助けになることがある 抑うつの体験は、うまく説明できないことが少なくあり
4月22日


言葉になる前のこころを聴く
大事なものほど、最初から言葉になってはいない カウンセリングを受けに来られる方は誠実な方が多く、「きちんと話さなければ」「自分の状態をうまく説明できなければ」「言語化できることが大事だ」と考えがちです。 たしかに、言葉にすることは大切です。自分の経験に輪郭を与え、他者と分かち合い、少し距離を取って眺めるために、言葉は大きな助けになります。 しかし、カウンセリングでは、大事なものほど、最初から言葉になってはいない、ということです。 悲しみとも怒りともつかない、しんどさ。 人生に対する、漠然とした違和感。 胸のあたりにある圧迫感。 何かは動いているのに、まだ説明できない感じ。 話している内容そのものよりも、沈黙の質や、語りの雰囲気、威圧や幻滅 カウンセリングが出会うのは、しばしばそういう領域です。 ユング派の臨床では、夢や箱庭、描画だけでなく、クライアントの語りそのものも、一つの「イメージの流れ」として受けとめます。すると見えてくるのは、 性急な言語化が、必ずしもこころを助けるとは限らない 、ということです。 言葉にするのが早すぎると、まだ育ってい
4月10日


「影」もう一人の自分
大人になると、「こうあるべきだ」という自分像が、いつの間にか貼り付いてきます。強く、正しく、いつも安定している。その理想像を目指してきたのに、少しでも外れると、急に不安になる。まるで自己評価が「0点か100点か」になっているかのようです。 この“白黒”は、性格というより、心が自分を守るために使っている「早い判断」の型なのだと思います。けれど早さは、時に大切なものを切り落とします。疲れているのに「怠け」と決めつけたり、寂しいのに「弱さ」と名付けたり。そうして切り捨て押し込められたものは、ユング心理学では「影」と呼ばれます。影は、誰にでもあり、自分について回ります。 切り捨てていたはずの「影」と出会う場面は、たいてい“きれいな理想像”が揺れた時です。誰かの一言に過剰に傷つく、急に空虚になる。そんなとき私たちは、早く結論を出したくなります。「私はダメだ」とか、「相手が悪い」とか。けれど本当は、その中間に“まだ言葉になっていない何か”がいて、そこに耳を澄ませる時間が必要なのかもしれません。 もし今日、少しだけ試せるとしたら。「0/100の判定」をいったん
4月6日


「悩むこと」は、心の筋トレ
■ 便利な時代と「使わなくなった力」 私たちは、とても便利な時代に生きています。 車に乗れば歩かなくても移動でき、 スマートフォンがあれば、欲しい情報はすぐ手に入ります。 とても快適です。 しかし一方で、体を動かす機会は減り、 気づかないうちに筋力は衰えていきます。 これは身体だけの話ではありません。 心にも同じことが起きています。 ■ 「葛藤」が減った時代 かつての生活には、自然と葛藤がありました。 ・思い通りにならない環境 ・我慢や調整を求められる場面 ・家族や兄弟との衝突、言い合いと和解 しかし現代では、 ・核家族化 ・少子化 ・個別化された生活 によって、幼い頃から人と生々しくぶつかる経験が減っている人がいます。 これはとても過ごしやすい環境です。 けれどその分、「心の筋肉」を使う機会も減っているのです。 ■ 大人になってから起こる「負荷」 その結果、どうなるか。 大人になってから、急に強い負荷に直面します。 ・満員電車のストレス ・職場での人間関係 ・自分の欲求と現実のズレ こうした場面で、 「どう折り合いをつければいいのか分からない」
4月1日


「この人となら話せる」と感じる意味
治療同盟という、見えにくい力について カウンセリングというと、 「何を話すか」 「どんなアドバイスをもらうか」 「自分に合う方法は何か」 そうしたことが、まず思い浮かぶかもしれません。 もちろん、それらは大切です。 けれど実際には、その前にもうひとつ、大事なことがあります。 それは、 「この人となら話せる気がする」 「一緒に考えてもらえそうだ」 という感じです。平たく言うと相性ですが、深く研究されています。 心理療法の世界では、こうした土台を 治療同盟 と呼びます。もともとは、クライアントとカウンセラーが、何を目指すのかを共有し、どんなふうに進めるかについて納得し、そのうえで信頼の絆が育っていく関係として考えられてきました。 「ただ話を聞いてくれる人」ではなく、 「自分のつらさを一緒に見ていこうとしてくれる人」と出会えること、 それが治療同盟のはじまりです。 そして、この関係は、単なる“感じのよさ”では終わりません。 海外では、成人の心理療法を対象にした大規模なメタ分析で、治療同盟は治療の結果と安定して関連し、その関連は対面でもオンラインでも、
3月29日


いつも時間に追われるあなたへ
クロノス と カイロス から見える、こころの時間 朝、会社に行かなければいけない時間なのに、どうしても体が動かない。 やらなければならないことがあるのに、気持ちがまったく乗ってこない。 頑張りたい時期なのに、なぜか心が沈んで、前に進めない。 そんなとき、多くの人はまず、自分を責めます。 「甘えているのではないか」 「やる気の問題ではないか」 「もっとしっかりしなければいけない」 けれど、こころの世界を少し丁寧に見ていくと、別の見え方が出てきます。 それは、 クロノス と カイロス という、二つの時間の見方です。 クロノス は、時計の時間です。 何時に起きるか、何時に出社するか、何日までに提出するか。 社会の中で生きる私たちには、この時間が必要です。 約束を守ること、生活を整えること、予定を立てること。 それらは日々を支える大切な土台です。 でも、人のこころは、いつも時計どおりには動きません。 気持ちが追いつかない日があります。 体は起きていても、こころがまだ朝になっていないような日があります。 これが、もう一つの時間、 カイロス です。 カイロス
3月22日


しんどさの底にある「支え」
相談室に届く多くの声は――嘆き、辛さ、不満、悔しさ、そして「もうだめかもしれない」という底の感覚から始まります。 そして私は、その “底” そのものを、ただ “暗いもの”、“嫌なもの” として片づけたくありません。嘆きは、単純な悲観ではなく、人生の厚みと結びついていることがあるからです。 言葉の「下」にあるもの 人は、苦しいときほど言葉が少なくなります。 「辛い」「しんどい・・・」「もう無理です」と、それだけしか言えないこともあります。 けれど、その短い言葉の下には、いくつもの層が重なっています。 ・怖さ(これ以上悪くなったらどうしよう) ・怒り(こんなはずじゃなかった) ・恥(自分はみっともない存在だ) ・孤独(誰にもわかってもらえない) ・期待(本当は助けてほしい) 表に出る言葉が同じでも、下にある層が違うと、心の味わいはまったく違ってきます。 カウンセリングでは、その「言われていない部分」に丁寧に耳を澄ませます。そこに触れられた瞬間、苦しみが“意味を帯びたもの”、“自分の物語”へと変わりはじめることがあるからです。 底にいるときの心境は
3月3日


自己肯定感について
自己肯定感という言葉が出てくると、多くの人はどこかで「上げる・下げる」というメーターを思い浮かべます。体温計のように、ある日測った数値が低いと不安になり、何かを足して温め直さなければならない、ような。点数のように、低ければ努力が足りず、自己肯定感の点数を高くするために努力をしなければならない、そう思う人もいます。 けれども、臨床の場で出会う「自己肯定感が低い」という訴えは、しばしば能力の不足そのものよりも――もっと静かで、もっと切実な問いに触れています。 「私は、私のままでここにいていいのだろうか」 この問いが胸の奥で鳴っているとき、人は資格や肩書きや評価を、心の足場として欲しくなります。足場があれば崩れない。褒められれば安心できる。点数が高ければ自分を許せる。そう信じたくなる。そう思ってしまっても、そのような努力をしていても、責めるべき浅さはありません。人が生き延びるための、賢い工夫でもあります。 ただ、その工夫はときに疲れを生みます。 頑張っても頑張っても、心は「もっと」を要求するからです。 次の資格、次の成果、次の称賛。...
2月13日
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