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自己肯定感について

自己肯定感という言葉が出てくると、多くの人はどこかで「上げる・下げる」というメーターを思い浮かべます。体温計のように、ある日測った数値が低いと不安になり、何かを足して温め直さなければならない、ような。点数のように、低ければ努力が足りず、自己肯定感の点数を高くするために努力をしなければならない、そう思う人もいます。

 けれども、臨床の場で出会う「自己肯定感が低い」という訴えは、しばしば能力の不足そのものよりも――もっと静かで、もっと切実な問いに触れています。

「私は、私のままでここにいていいのだろうか」

この問いが胸の奥で鳴っているとき、人は資格や肩書きや評価を、心の足場として欲しくなります。足場があれば崩れない。褒められれば安心できる。点数が高ければ自分を許せる。そう信じたくなる。そう思ってしまっても、そのような努力をしていても、責めるべき浅さはありません。人が生き延びるための、賢い工夫でもあります。


ただ、その工夫はときに疲れを生みます。

頑張っても頑張っても、心は「もっと」を要求するからです。

次の資格、次の成果、次の称賛。

そうして人生が、いつの間にか「自分を認めるための条件探し」になってしまう。

意識は、合理的で、分かりやすく、評価が得意です。「できる」「できない」「正しい」「間違い」。一方、無意識はもっと曖昧で、言葉になりにくく、しかし生の根に触れています。夢、感情のうねり、理由のない不安、どうしても繰り返してしまう失敗――それらは心の深くから、無意識が送ってくる手紙のようなものです。

自己肯定感の痛みも、その手紙の一つとして現れることがあります。

「あなたは、外の点数で自分を測り続けているけれど、本当は別のところで傷ついていないか」「あなたが切り捨ててきた“弱さ”や“情けなさ”は、どこへ行ったのか」

そんな問いかけが、症状の形をとって現れてきます。

 大切なのは、人格を磨いて“理想の自分”へ一直線に近づくことだけではない。むしろ、光の当たらない部分――自分で見たくないところ、恥ずかしいところ、弱いところ、ぐちゃぐちゃした感情――そうした影の領域を人生の中に迎え入れていくことが、深い意味での成熟につながる。そういう眼差しです。


ここで言う自己肯定感は、「できない自分を認めてあきらめる」ことではありません。

もっと柔らかいことです。「できない私」も「できる私」も、どちらも私の一部として、同じ部屋に居させてあげること。追い出さないこと。なかったことにしないこと。責め立てないこと。今の自分を受け止めること。

たとえば、「私は会話が苦手です」という事実があるとして。

自己肯定感が揺らいでいるとき、人はその事実に“意味”を足してしまいます。

「苦手=私は劣っている」

「苦手=努力が足りない」

「苦手=恥ずかしい存在だ」

この“意味づけ”が、心を傷つけます。


自己肯定感とは、その意味づけが起こる瞬間に、少し間を作れる力です。

「漢字が苦手、という事実はある。けれど、それが私の価値を決めるわけではない」

そう言えるとき、心は静かになります。

点数の世界から、存在の世界へ戻ってくるのです。


そして、ここがとても大事なところですが――この力は、頭で理解しただけでは育ちにくい。むしろ関係の中で育ちます。


人は一人でいるとき、自分を裁く声が強くなりがちです。仕事から帰ってきて、一息つく時、お風呂の時、寝る時に、一人一人反省会で自分を責めてしまう。過去の経験や、誰かの言葉や、比較の癖が、内側の裁判官を育ててしまう。その裁判官が「有罪」を言い渡すと、私たちは自分の存在そのものを縮めてしまいます。

カウンセリングという場が提供しようとしているのは、裁かれない経験です。

うまく話せても、話せなくても。

立派でも、みっともなくても。

前向きでも、ぐったりしていても。

そのまま受けとめられる経験。


不思議なことに、人は「そのままでいていい」と感じた瞬間から、少しずつ変わり始めます。努力で自分を作り替えるのではなく、追い出していた部分が戻ってくるからです。影が戻ると、人格は厚みを増します。すると、心の深いところで「私は、私の人生を生きていい」という感覚が生まれます。これが、自己肯定感の根です。


自己肯定感を高めるとは、「強い私」になることではありません。「弱い私」が息をしてもいい場所を作ることです。心の中に、居場所を増やしていくことです。


もし今あなたが、「自己肯定感が低い」と感じているなら。それはあなたがダメだからではなく、心がどこかで「本当の自分に戻りたい」と願っているサインかもしれません。点数では触れられない場所で、あなた自身があなたを待っている。その出会いは、いつも少し怖くて、しかしどこか温かいものです。


自分を認めるというのは、拍手喝采を送ることではありません。静かに隣に座り、逃げずに見つめ、言ってあげることです。かまくら相談室ではそういう時間を提供したいと思っております。


画像提供:夢鬱つさん

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