「影」もう一人の自分
- 沢雄司

- 4月6日
- 読了時間: 2分

大人になると、「こうあるべきだ」という自分像が、いつの間にか貼り付いてきます。強く、正しく、いつも安定している。その理想像を目指してきたのに、少しでも外れると、急に不安になる。まるで自己評価が「0点か100点か」になっているかのようです。

この“白黒”は、性格というより、心が自分を守るために使っている「早い判断」の型なのだと思います。けれど早さは、時に大切なものを切り落とします。疲れているのに「怠け」と決めつけたり、寂しいのに「弱さ」と名付けたり。そうして切り捨て押し込められたものは、ユング心理学では「影」と呼ばれます。影は、誰にでもあり、自分について回ります。

切り捨てていたはずの「影」と出会う場面は、たいてい“きれいな理想像”が揺れた時です。誰かの一言に過剰に傷つく、急に空虚になる。そんなとき私たちは、早く結論を出したくなります。「私はダメだ」とか、「相手が悪い」とか。けれど本当は、その中間に“まだ言葉になっていない何か”がいて、そこに耳を澄ませる時間が必要なのかもしれません。

もし今日、少しだけ試せるとしたら。「0/100の判定」をいったん保留するのはどうでしょう。点数の幅をつけて、「今回は40点。でも、40点分はできた」「怖かった。でも同時に、やってみたい気持ちもある」。光と影、良いところと悪いところ、両方を書けたら、それだけでだいぶいいですね。成熟とは、悪いところなくし、欠点を消して“完全”になることではなく、欠点や矛盾を含みながら“全体”として生き直すことかもしれません。「完全性」を目指すのではなく、「全体性」を求める眼差しには豊かさがあります。

自分の理想像は捨てなくていいでしょう。ただ、理想像を「鞭」にして自分を罰さず、目指す「方角」にしてみてはどうでしょう。あたたかいお茶を飲むように、白黒の判断を少し薄めていく。そうすると、とても人間らしい感情――好きと嫌い、誇りと恥、安心と不安――が同じ器に入っていることに気づく時があります。その器の広さが、たぶん「成熟した人間であること」の奥行きなのだと思います。



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