top of page

小石とGSVで感じたこと

10月5日
読了時間: 4分

浜辺で拾った小石が、なんとなく気に入って、そのまま持って帰ることにした。 この石を拾った日の少し前、私はGSVに参加していた。


GSVというのは、グループ・スーパービジョンのことだ。


今回参加した勉強会は、全国から参加希望があり、少人数で行われるため抽選もある。決して安くはない参加費を払って、数年にわたる一つのケースを、2時間ほどかけて丁寧に検討する。


ありがたいことに、私は今回参加することができた。こういう場なので、参加するこちらもかなり気合が入っている。せっかくの機会だから、できるだけ多くのことを学びたい。ケースについても自分なりに考えながら聞く。

ところが、そこで感じたのは、こちらの熱意にまったく負けない講師の先生の熱意だった。

というより、熱意という言葉もちょっと違う。もっと静かだった。


先生は、たくさん話すわけではない。自分の考えや信念は明らかにあるのだけれど、それを前面に押し出さない。問われれば必要なことを答える。でも、相手が自分で考える余地をかなり残している。


一方で、ケースについては本当によく見ている。

クライアントが言った一言。 そのときの状況。

担当カウンセラーが何を考え、どう関わってきたのか。

そういう細かいところを、ずっと丁寧に追っている。


担当しているカウンセラーへの敬意も感じる。

数年間、そのケースと関わってきた人の努力や迷いを、簡単に否定しない。

でも、だからといって何でも肯定するわけでもない。

見立てとして大切なところや、対応として考えたほうがいいところは、きちんと伝える。

大切なことは、言葉を変えながら何度か繰り返していた。


その場にいると、そこまで考えるために先生が使っている時間や労力が、なんとなく伝わってくる。でも、それを先生自身はほとんど表に出さない。

「私はこれだけこのケースについて考えました」という感じがない。

それが、とても印象に残った。


カウンセリングの世界では、「クライアントを愛する」という言い方はしない。

コミットするとか、ラポールを作るとか、治療関係を大切にするとか、そういう言い方をする。


それはもちろん専門用語だからなのだけれど、今回、その言葉の選び方にも少し意味があるような気がした。


「私はこの人を大切に思っている」

そう言うことは簡単だ。でも、人を援助する仕事では、自分の「大切に思っている」という気持ちに酔ってしまうこともあるのだと思う。


こんなに心配している。

こんなに考えている。

こんなにしてあげたい。


気がつくと、相手ではなく、相手を思っている自分の気持ちが中心になってしまう。



だから臨床では、愛情という言葉を使わず、


よく聴くこと。

よく見ること。

考えること。

守秘義務を守ること。

必要なことを伝えること。

距離感を大事にすること。


そういう形に変えていくのかもしれない。


相手を大切にするということは、近づくことだけではない。


こちらが大切に思っているからといって、相手の人生の中へどんどん入っていっていいわけではない。その人が自分で考え、自分で動けるだけの距離を残す。

相手が自由でいられる場所を空けておく。


それもまた、人を大切にすることなのだと思う。

そんなことを考えていた。



ちなみに先生は、GSVの途中で二度ほど欠伸をされた。

そこも心に残っている。


毎日の仕事で、きっと疲れているのだろう。

疲れない特別な人が、余裕のあるところからケースを考えているわけではない。

疲れる身体を持った一人の人が、それでも一つのケースのためにこれだけ考えている。

それが、なんだかとてもよかった。


私はその姿にも、愛情のようなものを感じた。

もちろん先生は「愛」などという言葉は使わない。

私は、自分はどうだろうと思った。


ケースについて、これくらい丁寧に考えているだろうか。

人を大切にできているだろうか。

少し反省もしたし、こうありたいなとも思った。



そのあと海を歩いていて、あの小さな石を拾った。

石はこちらに何も求めないし、何も返してこない。

私はその石を少し気に入った。

浜辺にはたくさんの石があって、たまたま出会って

家に持って帰って、どこかに置いておこうと思った。

私なりの居場所を石に与える。

それだけで、少し満たされるものがある。


何かを大切に思うこと。

近づきすぎず、それでも気にかけること。

そんなことを考えながら、小さな緑色の石をポケットに入れた。



 
 
bottom of page